戦後、日本の壁紙の歴史は織物から始まりました。しかし高度成長期、大量生産可能で、洋風な雰囲気を壁紙だけで手軽に表現できるビニールクロスに人気が集まりました。そして、現在まで壁紙といえばビニールクロスが主流の時代が続いていますが、ホルムアルデヒドの他、可塑剤やインクなど、多量な化学物質がシックハウスの原因の一つになっています。
よく考えてみれば、ビニールハウスと同じような素材が、部屋中を囲っている訳で、いくらホルムアルデヒド(だけ)が規制されたとはいえ、ビニールハウスを健康住宅と表現することは、何かしっくりこないものがあります。
そこで、アトピッコハウスでは、現在では高級ホテルや由緒ある神社仏閣でのみ細々と利用されているだけだった織物クロスの低価格化に着手し、本物の健康住宅を求めている方にご提供させていただくことができました。最近になって「脱ビニールクロス宣言」をする工務店やビルダーが増えてきていますが、アトピッコハウスではビニールクロスを施工した経験はありません。
クロスを使わない住宅がほとんどない今、ビニールクロスはもちろん、エコっぽいだけの商品は嫌だなと考えていました。オリジナルの「本物のたたみ」が完成した後、紙よりも質感と高級感のある織物壁紙に開発に着手しました。
日本の気候風土には塗り壁や木材が良いことは当然なのですが、価格や施工上の問題などから、クロスを100%排除することは不可能です。調湿性を考えると織物が一番です。珪藻土クロスなどもありますが、珪藻土を付着させる為の接着剤が必要になります。複雑な構造より、シンプルがいい。温故知新、古いものからアイデアをもらって、新しい物をつくり上げる。アトピッコハウスの信条です。
紙壁紙と総称されている製品には「紙が51%、ビニールが49%」という構成になっている商品があります。1%でも多く入っている原料によって、その壁紙の分類が決定されるのです。織物壁紙も同じです。49%がビニールでも51%が織物であれば、「織物壁紙」と表現しても問題がないのです。
せっかく高い金額を出して織物壁紙を選んでも、これでは織物の特徴は半減します。すっぴんクロスは綿、麻、レーヨンでのみ構成され、反物を作るように織機で作られる100%織物壁紙です。
※防火認定品のみポリエステル糸を使用しています。
造幣局が造っていた!!
イギリスの鉄道技師に教えられた日本橋の紙問屋が、和紙を用いた壁紙をつくり、明治6年(1873年)、ウイーン万国博に出展したことから日本の壁紙製造がスタートしました。明治11年には大蔵省印刷局の前身「紙幣寮」も設備を整え製造し、随分と外貨を稼いだそうです。当時の壁紙は「金唐革壁紙」と呼ばれ、殆どが輸出品でしたが、築地本願寺や、日本郵船ビルなどに使われ、今に残っているものもあります。
※金唐革(きんからかわ)…唐草や花鳥などの模様に金泥を塗った装飾革もしくは、その模造品。袋物やタバコ入れなどに用いた。
壁紙は襖やさんが片手間に
国内では、明治27年(1894年)頃、ドイツ大使館にドイツ製の壁紙を貼ったのが初めてではないか、といわれていますが、詳細な記録はありません。また、明治の中頃には、襖用の葛布を壁紙用に仕立てた「グラスクロス」が輸出されていました。
※この頃ヨーロッパでは紙の壁紙が主流
戦後麻の壁紙が大好評
戦後の復興建築が盛んだった時代、在庫していた壁紙は駐留軍の施設で使われ、また葛布を使った「グラスクロス」は材料不足で造ることができませんでした。
そこで、建築家が壁に麻布を張る仕上げを試みたところ、これが好評で、瞬く間に広まっていきました。当初、経師業者が麻布を自分で裏打ちし壁紙のように仕上げ、施工していましたが、需要が拡大するにつれて、襖紙の製造元が織物壁紙を生産するようになりました。
そして高度成長期時代、大量に生産ができ、単価が安く、施工技術の必要のないビニールクロスが登場し、現在の主流品となっています。
※三菱製紙は造幣局から払い下げられた機械を使い洋紙の壁紙「三菱壁紙」を製造販売していた。
壁紙マメ知識
ヨーロッパの壁紙は700年ほど前、羊の皮をなめして豪華絢爛な装飾をしたものがスタートといわれています。一頭の羊からとれる皮が、幅50p程だったことから壁紙の幅寸法の52cmが今日まで受け継がれています。





